生きるのが辛い…孤独な自分に生きる価値ある?無理に人とつながらなくていい

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孤独を痛感し、生きているのがつらい時。

生きるのが辛い,孤独

誰もが経験しているわけではない。つらい時間ですよね。

 

みんな楽しそうに、なにも問題なさそうに笑顔でいるけれど、

その笑顔の影にある心の顔が本当はどうなのか、

それは、その笑顔を見せている本人にしかわからないものかもしれません。

 

誰もが誰かとつながっていて、仲間がいる、友達がいる。

孤独ではない。

 

でも自分だけは誰ともつながりがなく、孤独だ、と痛感させられるとき、

生きる価値がないように考えてしまうこと、ありますよね。

 

けれど、もしあなたが誰かに

「孤独な人は生きる価値はないのか」と質問されたなら、どう答えるでしょうか。

「決して、そんなことはない」と多くの人は答えると思うのです。

 

ひどく孤独を痛感するとき

自分では生きる意味を見出せなくなってしまうのに、

孤独でも生きる価値がないわけではない、と心の深いところではわかっている。

矛盾しているような。していないような。

 

今日は

生きるのが辛い…孤独な自分に生きる価値ある?

孤独の解消は『人』とつながらなくていい

についてお話していきます。

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何一つ分かり合えたり、分かち合える人がいない。

「人はみんな一人で生まれてきて一人であの世へ旅立つ」のだから、人生は一人で孤独と言うことだってできますが・・・

 

生きる価値があるのだろうか?

と考える時の『孤独』とは、具体的には

何一つ分かり合えたり、分かち合える人がいない。

そんな状態を孤独と呼んでいるのではないでしょうか。

 

自分が生きていようが、死んでいようが、誰にも関わりがない気がする。

どことも誰ともつながっていない、

 

糸の切れた凧のような居場所のなさ。

そんな居場所のなさを「孤独」と呼んでいるのかもしれません。

 

あるいは、災害や事故など

分かち合えるような人がいない出来事が自分の人生に起こってしまった。

そのことが非常につらい孤独を感じさせるかもしれません。

 

けれど同時に、孤独感と同じくらいその裏側には

なにかを共有できる誰かを求める気持ちがあることを感じないでしょうか?

 

孤独の感情は「一緒に過ごせる誰か」を求める気持ちがあるからこそ

理解しあえたり、分かち合えたり、

そこまでゆかなくても、穏やかなひと時を一緒に過ごせる誰か、を求める気持ち。

 

そんな気持ちが強くあるからこそ、理解しあえたり、分ち合える人がいない、という状況に余計に孤独を痛感し、孤独感に襲われるのですよね。

 

けれど

「そんな誰かを求める気持ちがある」

心の奥底の願望を認めることができさえすれば

現状や気持ちを変えてゆくこともできるのです。

 

求めれば、必ず手に入る。

それは、人間関係も仕事もお金も、すべて同じです。

 

自分のペースで、少しずつ求めれば良い

もちろんすぐに理解し合えるような人との出会いが待っている訳ではないけれど、

人の中に少し出てみることで、どんな出会いが待っているかはわかりません。

 

人が苦手な人は、自分のペースで少しずつ自分が参加できる場を見つけていけばいいのです。

 

ここなら参加できる、という場所。

学生さんや若い人であれば、この人となら少し知り合いになれそう、という人やグループに少しずつ関わる、少しずつ話す、など。

昔の友人に会いにいったり、久しぶりスマホで連絡するのもいいかもしれません。

 

新しい出会いを求めるなら『共通のテーマ』から

中年や高齢になると、女性であれば結婚や出産などがあるため、それまであった友人関係も疎遠になる場合もあります。

独身の方であれば、友人が結婚するとなかなか時間も合わず、疎遠になることも多いもの。

 

そんな時は趣味や関心のあるサークルなどを通して新しい出会いを求めるのも良いでしょう。

同じものに興味がある、好きだ、ということは

やはり気が合ったり、話が盛り上がったりと楽しいひと時を過ごす場にもなりやすいです。

 

孤独は『人』ではなく『曲』や『作品』とつながるのもいい

一方、人間関係に飛び込むのはどうしても苦手、という人がいても自然だと思います。

私が若い頃はSNSもなかったので、小説や音楽、など芸術面で楽しむ人も多かったです。

演劇を観にいく人、映画が好きな人、漫画が好きな人、いろんな人がいました。

 

共感できる曲や作品を支えにしている人も多かったです。

生きるのが辛いとき、人ではなく『作品とつながる』のです。

今は様々なサイトもありますし、趣味のつながりがあるので、そんなところから一歩踏み出すのも良いかもしれませんね。

 

辛いのに生きる意味ある?ポジティブな慰めには反発しか感じない!

生きる意味。

生きる意味はもともとあるものなのでしょうか?

あなたはどのように思われますか。

 

それとも、あまりに辛く苦しく

生きていくことに期待できなくて、もう同じ時間が続くだけのように思えて

生きる意味がないとそう考えてしまうのでしょうか。

 

意味を見つけないともう、続けていくことが出来ないくらい

辛いから、苦しいから「意味を探してしまう」のかもしれません。

 

あまりに辛いとき、追い詰められている時、苦しすぎる時

じっさい、求めているのはポジティブな慰めではなく

その辛さや苦しさ、痛みを共感してくれる存在なのでは、と思うのです。

 

欲しいのは勇気づけでもなく、元気づけでもなく、笑いでもなく、涙でもない。

ただ隣で「そうかぁ」と静かに耳を傾けてくれて

そこに静かに一緒に居続けてくれる存在

 

そんな話をできる相手がいれば、と思います。

でも、そんな人がいたら、生きる意味を問うことなどないかもしれません。

一緒に生きる意味ってなんだろう、と話合えたりする相手がいれば、孤独なんて薄まってしまうから。

 

でも、生きる意味を求める人は

生きる意味がないと生き抜けない、と感じるぐらい苦しい状況に置かれているのだと思うのです。

孤独に戦っているのかもしれませんね。

 

一人ひとりの命のありようや

生きている中でも起こることが違いすぎるので

生きる意味は、一人一人違うのだと受け入れてみる。

 

違うとするのなら

答えは外にあるものではなくて、

生きる意味を問うぐらい苦しい中を生きぬいていく中で

世界でたった一人の自分が、世界でたった一つの答えを見つけるのかもしれません。

 

ただひとつ、私が確信をもっていえることは

不必要な人生も命もない、ということです。

 

最近は多様性という言葉がはやっていますね。

生物は多様性の中ではじめて保たれる命として存在しています。

 

それは完全も不完全もない、ということなのだと思います。

いつも何かが足りず、足らないことで補い合っているのが命の多様性なのだと思います。

 

生きる意味を問うほど考え、悩んでいるそのことを

必要としている誰かや命がある気がしてなりません。

 

寂しい時どうしたらいい?一時的に元気になってもまた落ち込むときは?

寂しい時、いったいどうしたらその寂しさを埋めてゆけるのでしょうか。

逆に、

寂しくないという状況がずっと続くことはあるのでしょうか。

寂しさは排除すべき感情なのでしょうか。

寂しさを抱えることで何が見えてくるのでしょうか。

 

そう考えると、ひょっとすると寂しさは一見するとマイナスにように見えますが

プラスになる要素も含んでいるかもしれません。

 

寂しさが何かで解決できそうなのであれば、解決できそうな方法を実行したらよいと思います。

 

そんなものは何もない、という人もいるかと思います。

 

さみしさを感じずにいれる何かがあれば

その何かに没頭するのもいいと思います。

 

けれど寂しさって、

自分の影のように追いかけてくるものなので、

うまく寂しさを散らしながら、共存するのも一つの方法かもしれません。

 

ただ、食欲が落ちた、便秘がひどい、下痢がひどい、眠れないなどの身体的な症状が持続して生じたら少し注意してください。

そんな様子があまりに持続して、仕事にいけない、学校にいけない、など生活に支障が出てきたら、心療内科や精神科クリニックに一度相談してみてくださいね。

 

まとめ

孤独や生きる意味を見失う、ということ。

いまの時代、けして珍しいことではなく誰でもぶつかる出来事のように思います。

 

人と人のつながりが、薄くなり

生きづらさのある社会。

 

けれど、一方で新しいつながりが生まれ、居場所が顔と顔を見せあって濃い人間関係を必要としない場も選べるようにもなりました。

 

孤独や生きづらさは

おそらく人生のどの段階で感じるか、悩むかで

内容も違うし、感じられ方も違うものである気がします。

 

だからこそ抜け道もひとつではなく

沢山ある気がします。

 

また心を癒してくれたり、慰めてくれるのは

人という存在だけではなく、様々な作品や動物、ということもあるかもしれません。草木、ということもあるかもしれません。

 

世界は広く様々な命であふれています。

また様々な場所が開かれてもいます。

 

どこかに孤独にうずく心を

そっと包んでくれるような存在がある気がしてなりません。

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